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天吹
薩摩には「天吹(てんぷく)」という不思議な楽器が古くから伝えられている。由来は定かではないが専門家の間では大陸からの渡来説、国内発生説などがある。
天に向かい、天に和して吹く・・・だから天吹なのかと思うと、140年近く前の文書(天吹考並歌詞:文久3年)は厳かな調子でその由来を断定していた。
「天吹ト名ツクルハ大祓ノ詞ニ天ノ八重雲を吹キ放ツ事ノ如クト云調ヲトリ」とある。
重ねて「又、神賀ノ詞ニ、天津吹ヲ云語ヲト云語ヲ取って、天吹ト名ツクルモノナリ」ともある。大祓ノ詞、神賀ノ詞というのは、いづれも神官の唱えるのりとである。
「天吹」とはありていにいえば30cmほどの素朴なコサン竹(布袋竹)の縦笛で謎の多い秘めたる楽器である。「豊臣秀吉の朝鮮の役で焼き物とともに移入された」とか「島津日新公が天吹、琵琶、柴笛を奨励して盛んになった」とか言い伝えは残っている。
藩政時代は郷中教育の一環として武士の間で伝承されてきた。
明治時代になっても鹿児島市の荒田、加治屋、新屋敷あたりの学舎で伝授しており、学舎に通う生徒のほとんどが天吹や琵琶を奏していたという。ところが明治30年代に「楽器は勉学の妨げになる」と苦情がでて琵琶、天吹禁止令が出され、以後薩摩の伝承楽器(音楽)は急速に廃れてしまった。
昭和にはいってからは、天吹という言葉さえ忘れられ「化石の楽器」とが「幻の笛」などといわれるまでになった。天吹は口述による伝承であったため、昭和30年頃までの天吹の作り方、楽譜、運指表、録音などの記録はない。天吹の製管にくわしく、伝承曲を奏する人は大田良一氏(号忠正)ただ一人になっていた。
しかも大田氏は県外に就職されていたので天吹を見聞する機会はきわめて少なかったと思われる。
定年退職された大田氏の帰郷を機に「天吹柴笛振興会」が昭和30年1月に発足した。しかし、4年後の34年3月、大田氏は畏逝され振興会は自然消滅してしまった。
天吹同好会の師範、白尾國利氏(号径山)も振興会に入会されたお一人だったが、人一倍熱心な氏は勤務先を大田氏の居住先近くの高校への異動を希望、大田氏に天吹の奏法、製管方法などを熱心に習われた。
氏はそれまで長年尺八をされていた経験をふまえ、運指表を作成されると同時に奏法も短期間のうちに会得された。その後天吹の保存、伝承、振興を目的として昭和56年6月「天吹同好会」が結成され、白尾國利氏の指導のもと毎週木曜日練習を行っている。
このような活動が認められ白尾國利氏は平成元年「第40回南日本文化賞」に選ばれた。
また、平成2年3月23日、「天吹同好会」は鹿児島県指定無形文化財の保持団体として認定された。
聞けば聞くほど味わいのある薩摩の伝統楽器「天吹」に関心のある皆様方のご入会をお待ちしています。
天吹同好会事務局 鹿児島市上荒田町
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