島津義弘公とは?

天文4年(1535)島津家第15代貴久公の次男として、鹿児島県南部に位置する伊作(いざく)の亀丸(かめまる)城にて生まれる。祖父、日新公(じっしんこう)の教えを受け、19歳の時、岩剣城(いわつるぎじょう)の戦いにて初陣を飾る。

このとき、日本の歴史上ではじめて合戦にて鉄砲が使われた。

薩摩、大隅、日向の豪族達と戦いを繰り広げ、元亀3年(1572)木崎原(きざきばる)の戦いで敵将、伊東義祐を撃ち破ると九州制覇へ向けて一気に北上する。大友宗麟が豊臣秀吉に救いを求め、あえなく元の三国へ押しとどめられた。

天正20年(1592)、慶長2年(1597)と2度にわたる朝鮮出兵を経て、高野山に「高麗陣敵味方供養塔」を建立し博愛精神の源を示す。

慶長5年(1600)天下分け目の戦い「関ヶ原の合戦」では西軍の石田三成に付き、敗色濃くなったため僅か1,500名で敵中突破を遂行する。世に言う「島津の退(の)き口」は、以後400年以上たった今も、ここ鹿児島の地でその不撓不屈の精神は青少年達に継承されてきている。

元和5年(1619)7月21日加治木館(やかた)にて85歳で没。

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「薩摩の秘剣」野太刀自顕流 著者:島津義秀 出版社:新潮社
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内容
「薩摩の初太刀をはずせ」 と新撰組の近藤勇をも恐れさせた秘剣「野太刀自顕流」。
薩摩には東郷重位を始祖とする「示現流」とは別の、もう一つの「ジゲンリュウ」があった。下級武士たちの実戦剣法として伝えられたその技は、桜田門外の変で井伊直弼の首をはね、生麦事件では馬上のイギリス人の内臓を一刀でえぐりだすほどの威力だった。本書では、自顕流の歴史、精神、技を詳しく解説する。


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写真提供 「ヤマモト ヨウコ」